師岡のもみじを楽しむウォーキング

港北区福祉保健課健康づくり係3名、保健活動推進員33名、ウォーキングサポータ-19名合計55名参加して『師岡のもみじを楽しむ・ウォーキング』令和4年12月3日(土)10時~開催致しました。
当日は、肌寒く太陽の光がほしくなりましたが師岡の美しい紅葉見ると寒さを忘れ元気を戴きました。
ウォーキングの様子を画像で紹介します。

グループの内訳(3グループ)
1グループ 18名 日吉地区・大曾根地区・樽町地区・綱島地区・城郷地区・大倉山地区
2グループ 21名 新吉田あすなろ地区・高田地区・綱島地区・新羽地区・篠原地区・樽町地区・日吉地区
3グループ 13名 大曾根地区・菊名地区・新吉田あすなろ地区・師岡地区・大倉山地区・城郷地区
合計 52名

役割分担 1・2グループ     3グループ

グループコース
1・2グループ       3グループ(短めコース)

1・2グループ:区役所出発 ⇒熊野神社 ⇒市民の森 ⇒梅の丘公園 ⇒横溝屋敷 ⇒師岡町公園⇒
区役所
3グループ :区役所 ⇒熊野神社 ⇒梅の丘公園 ⇒横溝屋敷 ⇒師岡町公園 ⇒区役所

全体の様子
グループ各リーダー 注意事項の説明

体操役割担当の指示による準備体操

区役所出発:誘導担当 安全確認し横断歩道通過

ガイドさん:いのち池・熊野神社説明

熊野神社の坂を下り梅の丘

梅の丘公園到着:横溝屋敷修繕工事の為梅の丘で説明


3グループ 記念撮影

横溝屋敷:茅葺屋根修繕工事

師岡町公園:整理体操

整理体操後 ⇒区役所に向う

師岡町の美しい紅葉

コロナ感染防止対策として全員マスク着用してのウォーキング、歩数約7500歩
全員無事帰宅する事が出来ました。参加者の方大変お疲れ様でした。

師岡のきらびとさん

不定期ですが、師岡町在住のキラッと輝く方を紹介するコーナーが始まります。

第一回は 人形作家の「高橋 操」さん

         

もしも夜中に動き出したら、きっと楽しいだろうなと思うような人形を目指していると語る高橋操さん。

取材したのは、大倉山エルム通りを通り過ぎて数分の所にある 
BADDY動物病院(045-542-2005)に併設された展示会場。
ここは同病院が保護猫活動をしている場所で、展示会などにも提供している。

高橋操さんはここで作品の展示会を行っていて、作品の売り上げの一部を保護猫活動に寄付をしていっらしゃいました。 今後も保護猫活動に協力をしていきたいとの事。

大学を卒業後、結婚を機に興味のあった焼き物を始めましたが、陶芸工房の移転などから焼成の必要のない石塑粘土(せきそねんど)を使った人形作家に転身。

彼女の作品は、どこか私自身に似ているムチムチなフォルムの愛嬌のある人形達。

教室も開いており、すでに何人かのお弟子さんは独り立ちしておられるとか

興味のある方は高橋操さんのホームページをご覧下さい。
  http://misaodoll.web.fc2.com/top/top.html

師岡町会館のパソコンサロンにも時々参加して下さっています。


今までは県外での展示会が多かったが、今後は県内でも開催していきたいと操さん。
彼女の作品を身近で見られる機会が増えることを期待したいですね。

       取材した日の展示会出品作品(一部)  売上の一部は保護猫活動に寄付をされました。

  

                         

 

                     高橋操さんポストカードより

  

                    

 

 

師岡のキラびと file.2 茶遊亭小天さん

昨年の暮れタウンニュース「人物風土記」にも登場しましたから
ご存知の方も多いはず。

師岡町在住15年の社会人落語家の茶遊亭小天さんは
師岡町会館で行われる落語会に何度も登場して下さっている
看板落語家となっています。
4月26日保健推進委員主催の樽町ケアプラザ「花しょうぶ」
や6月15日(土)に師岡町会館で行われた
「夏越しの大笑」にも登場しました。
8月18日(土)熊野神社例大祭 奉納演芸で落語を納めます
                

茶遊亭小天さんにお話しを伺いました。

★社会人落語家になったきっかけは?

東日本大震災の時、みなとみらいで仕事をしていたのですがその時
「私死ぬかもしれないと思いました。人間いつどうなるか分からないんだ。
それならばこれからはやりたいことをやろう」と思いました。

「やりたいこと」に落語を選んだ理由は?

もともと恥ずかしがり屋で本を読んだり文章を書いたりすることは好きでした。
人前で話すのは苦手だったけれど表現することは好きでした。
子供のころおばあちゃんが落語が好きでいつもテレビやラジオから落語が流れていて
一度だけいつものように流れていた落語に引き込まれたことが有りました。

19歳の時に大学の先輩に寄席に連れて行ってもらってすごい!と思ったけれどそれ以降
長い間寄席に足を運ぶことなく、二度目に落語を生で聴いたのは2012年。
そこから定期的に聴くようになりました。
子供のころおばあちゃんがいつも聴いていて自分にとってBGMのようなものだった落語が
魅力的なものになっていました。

そもそも落語は口伝なのかと思っていましたが台本が有ることを知り
書くことは好きだったから、やりたいことをやろうと思ってから数年後
カルチャー教室で見つけた落語の台本教室に通い始めました。
しかし思うように筆が進まない事から台本を書く為には
「しゃべるリズム」を覚えると良いとの講師の勧めで2013年4月~6月の三か月間
記念受験のような気持ちで落語の教室にも通い始めました。
実際、落語をやってみたら難しいけれど、結構楽しくていつの間にかのめり込んでいました。
今ではベテランぞろいの落語サークルやボランティア団体にも所属。
先輩たちに揉まれながら社会人落語家として寄席に出たりボランティアで施設に行ったりしています。

初めての高座はいつごろでしたか

お客様の前で高座に上がったのは2014年の
暮れでした。
客として何回も足を運び、なじみがある
会場でしたが高座に上がってみると
景色がちがって見えました。

大先輩の方々が高座に上がる前の
初めの方で演じることが出来たので
ものすごく緊張しましたが
楽しいと思う事が出来ました。

小天さんが書いた台本を演じたことは有りますか?

はい「取り換えっこ」など2作品を数回。師岡町会館でも披露したことが有ります。
初めての作品というのは演じるうえで先例がないですよね。いわゆるお手本がない。
ですから先輩方や仲間たちの意見やアドバイスを受けながら色々やってみる。
お客様の受けは良かったけれど、自分では違うなと思う事も有ります。
同じ台本でも演じる側の年齢や、登場人物の年齢設定をどのくらいにするかで
全く違うものになってきます。
ある程度の年齢にならないとこの登場人物の本質を表現できないというものもあって
とても面白いと思います。

★茶遊亭小天(さゆうていこてん)
という高座名の由来は?

先にも言いましたように4月から6月までの
ワンクールのみのつもりでしたので
あとから高座名を見た時に
落語を習っていた当時の状況が思い出せる
そんな名前にしたいという思いがありました

当時の先生が「三遊亭」御一門の方
だったのですが三遊亭の亭号をそのまま
使うわけにはいかないので「ん」の字を
抜いて字ずらの良い字「茶」を当てました。

「ん」を抜いたのは「ん」が付く名前「ん」で終わる名前は出世するそうなのでへりくだる
そんな気持ちもあっての事です。
「茶遊(さゆう)」は、当時気に入っていた中国茶館の店名でもあります。

「三遊亭」の「三」は(呑む、打つ、買う)の三道楽からきているそうですが「茶」の字は
草かんむりが十が2つとみて二十、その下に八十八、足して108。
煩悩の数をあらわすそうで、へりくだったつもりがトンだ欲まみれの亭号になってしまいました(笑)

「小天」ですが、小さな天道虫(てんとう虫)の略で、てんとう虫はヨーロッパでは幸運の象徴。
てんとう虫が留まった人には良いことが起こるとされています。
ご縁が有って出会った方には良いことが有りますようにというゲン担ぎでもあります。
それなら「天道」もかっこいいかなとも思いましたが、「転倒」にもつながるので「コテンッ!」
くらいが落語の真髄にあってるかなと。
それに出世するといわれてる「ん」で終わってますしね((笑)

最後に落語の魅力を教えて下さい

忠臣蔵で赤穂浪士にスポットを当てるのが歌舞伎。赤穂藩の残りの5分の4の人たちに
スポットを当てるのが落語だと、ある大物落語家が言っておられました。
落語ってまともにやったらイヤな話が多い。
欲深い高利貸しとか、あんなオヤジがいたらイヤだなとか。
でも、あるあるな出来事だったり嫌な人なりのおもしろさ、滑稽さがある。

落語を聴いて、生きていていいんだ、そのままで良い、こんな自分でもいいんだ
明日も頑張ろうって思ってもらえたら、そんな気持ちでいます。

有難うございました。

私もテレビなどで落語を聴いて面白いと思いますが、登場人物の気持ちになってみたり
これでいいんだ、明日も頑張ろうと思ったことは有りませんでした。
でも、小天さんの落語にはそれがある。それは小天さんの大きな武器になると思います。

これからの小天さんのご活躍を願っています。